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季節は



どんなに酷い災害の後でも、原発が放射線を撒き散らしていても…

季節は巡り、春はやって来ます。

福島市も桜は今が満開です。


画像は福島市にある信夫山の公園です。

ほのかに薫る桜に囲まれウトウト…
あの震災が夢であったらと。


放射線ダダ漏れなんて…


そう思いながら、家族で花見ピクニックです。

私の見た相馬港

今回の災害で亡くなられた方々へ

合掌

震災から一ヶ月、昨日相馬港へ行ってきました。

福島から国道115号線~国道6号線~相馬港のルートで。
6号線は南相馬市以南は原発の影響で通れませんが相馬以北は開通してますので普通に通れました。

松川釣具店のある交差点から相馬港方面へ。
この辺りから海側が津波の影響を受けた地域です。
残念ながらこの辺りの画像がメモリに行ってなくて何枚か消失?してました。
いや、単なる操作ミスなんですが(泣)

松川浦の西側の最奥から数百メートルくらいでしょうか少し低くなっている場所なんですが、巻き網船が流れてきていました。
そこらじゅうにボートも転がってます。
そこから少し行くと松川浦方面と相馬港方面への分かれ道になります。
一方通行で相馬港方面へと誘導されています。

相馬港方面へ向かうと左に工業団地、右側に住宅地域となります
右側がいわゆる原釜尾浜地区と言われる古くからの集落ですが・・・・
瓦礫の山です。
相馬港の整備が始まった頃、それこそ小学生時代からなじみのある集落です
あの町並みが無くなっていました。
古い道沿いにある小さな商店。大きなスーパーなど無くキャンプをする時など、飲み物やお菓子なんかを買った思い出の商店。
海沿いに道路が整備される前に海水浴場から走って釣り餌を買いに行った小さな餌屋さん
走馬灯のように頭の中を駆け巡り涙がこぼれました。

ここからいつものスロープへと向かいます
人口磯と東屋
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津波後の東屋

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人口磯と遊歩道

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そしてスロープへ

以前は廃船などがあった場所

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その後

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ある意味キレイさっぱりと無くなった


スロープ全体像

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2段になっていた岸壁。はがれて?くずれて?無くなっていた。と言うか海底に沈んだ模様
測量の人が岸壁から2~3mのとこでウェットで立っていた。肩くらいだったので・・・

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スロープの左側
ここも流されて?くずれて?きれいに無くなった。
小さな漁船や漁具などがあったのに・・・・

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ここもスロープ左側
崩れてなくなってます。がちゃがちゃだ

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この辺りは本来の港湾施設利用計画ではプレジャー用の桟橋などが出来る予定だったので
復興後は計画通りプレジャー用施設にして欲しいですね。


さて、この後は漁港の方へ行ってみますが、続きは明日にでも。

被災地からの報告

愛好会宮城支部メンバーの遠ちゃんからメールをいただきました。
大体以下の通りです。(携帯から容量オーバーでPCに転送できなかったため)


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被災地からの報告



皆さん、このたびの震災に関しては、大変ご心配をおかけしました。



本当に大変な津波でした。



今回の死者・行方不明者が多数出たのは主に津波が原因です。昨日、ユーチューブで名取川を遡る津波を初めて見ました。

被災地以外の地域ではおそらく繰り返し放映されたものと思われますが、私が六郷中(東京から戻って最初に赴任した中学校)時代にお世話になった方が多数住む地域がことごとく津波にのみこまれていく様子に戦慄を覚えました。

数日前に、そのあたりに住む、大変お世話になったある保護者の死を死亡者名簿で知りましたが、これでは助かるはずがないと思えるほどの惨状でした。

沿岸から数キロも離れた場所に津波がやってくるなどとは誰が考えるでしょう。

ニュースで大津波警報が出されたも、人ごとのように思って車を運転していた多くの人々が、次々と津波にのみ込まれていく様子も映像に収まっていました。目の前に突然現れた濁流を目にしたときの驚きと恐怖は想像するに難しくありません。

1000年に一度という地震と津波はどんな専門家も予想だにしなかったものですからしかたないでしょう。

先に紹介した私の親友も今回の津波で命を落としました。

南三陸町の中学校で、避難してくる高齢者を誘導していて巻き込まれました。責任感のある彼だからというよりも、どの教員でもその場にいたら同様の行動をとると思います。

誠実で優しい彼の死が残念でなりません。



ところで、今日、甚大な被災をした石巻市の学校を訪問しました。

夫を津波で亡くした先生を励ますことと、

その先生から

「ぜひ、実態を見に来て、伝えて」

と言われたことに応えるためでした。



彼女の夫は大川小学校という、最も被害が甚大だった学校に勤めていました。

とても研究熱心で全県の先生たちのリーダーという存在でした。

唯一、生存していた先生によると、地震直後、2次避難として校庭に子供たちを集合させ、引き取りに来た保護者に子供たちを渡すために点呼をとりつつ、校舎に再避難させる前に校舎内の安全点検をしている最中に津波が襲ったそうです。

先生と児童のほとんどが津波に流されていきました。

校舎裏の山への避難も考えましたが、山の木が崩れ始めていて危険と判断したそうです。

その先生は、数人の子供たちを率いてとっさに山を駆け上がって九死に一生を得たとのことでした。

北上川の下流に位置する大川小学校では、津波に備えた対策は、校舎2階と同じ高さを誇る堤防を、川を逆流した津波が越えてきたときを想定したもので、校舎への避難を考えていたようです。

しかし、今回は地震後の校舎の安全性が疑われたことと、想定をはるかに超える津波が川からと同時に、海からも直接襲ってきた模様で、小さい子どもたちを抱えた先生たちはなすすべがなかっただろうと思いました。

校舎の屋上まで達する津波でした。

昨日はまだ、わが子を捜す保護者と思われる方々がおいででしたが、一日も早く引き取らせてあげたいと強く思いました。



その後、渡波小学校に行きました、今も600人ほどが避難している中、事務職員の方にお話を伺いました。

地震直後、保護者に引き渡した子どもたちの多くが津波の被害にあったそうです。

8名が亡くなりました。

校庭に避難後、担任が引き取りに来ない家庭の子どもたちを体育館に避難させ、管理職が校舎の安全点検をしている時に津波が襲いました。

水位はどんどん高くなり1.5mほどの高さまできました。

体育館では子どもたちをステージに、そしてギャラリーに避難させ、全員無事だったそうです。もう少し水位が高ければ危なかったそうです。

いまも、2階から見る光景が目に浮かぶそうです。

それは、人や車がたくさん流れて行った、現実とは思えない光景です。

「結果的に、管理職と担任が水で分断されて、連絡がつかないまま一晩過ごすことになりましたが、判断はベストだったと思っています。結果は必ずしもベストにならないこともあると思いますが、その時点でベストの判断をすることが大事だと思いました。」

という言葉に大きな仕事をひとつやり遂げた重みを感じました。



 復興まで長い道のりですが、私自身も力になりたいと思っています。

皆さんともまたお会いできる日を楽しみにしています。

今回、知人友人からもたくさん電話やお手紙をいただきました。人のつながりってありがたいとつくづく思います。皆さんにもよろしくお伝えくださいね。ではまた。



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以上の通りです。

遠ちゃん、そしてごらんの皆さん

お疲れ様です。。

被災地入りするのは体にも心にも大変な負担だったと思います。
本当に、復興まであとどれくらいかかるのか見当もつきませんね。
私のホーム相馬港・松川浦も壊滅的な状況です。
福島は地震・津波・原発・風評とかつてない被害です。
だからと言って、下を向いたままではいられません。上を向いて未来に向かって頑張っていきましょう

「がんばっぺ福島」
「がんばるっちゃ宮城」
「がんば・・??岩手」←方言わかりません(汗!!!!)

「みんなでがんばろう東北」